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福岡高等裁判所 昭和24年(つ)348号 判決 1949年12月07日

被告人

倉本正

主文

本件控訴を棄却する。

理由

弁護人井上音次郞の控訴趣意は、末尾添付の書面記載のとおりである。

第一、二点に対する判断。

本件記訴状及び訴因追加請求書の各謄本が被告人に送達されていないことは、所論のとおりである。しかしながら、右起訴状の謄本は、昭和二十四年四月十六日、訴因追加請求書の謄本は、同月二十一日、いずれもそれぞれ弁護人本郷雅廣に送達されたこと、送達報告書の各記載によつて明らかである。

刑事訴訟法第二百七十一條は、裁判所は、公訴の提起があつたときは、遅滯なく記訴状の謄本を被告人に送達しなければならない。公訴の提起があつた日から二箇月以内に起訴状の謄本が送達されないときは、公訴の提起は、さかのぼつてその効力を失ふ、と規定しており、その趣旨とするところは、公判に臨もうとする被告人に対し、起訴にかゝる事実と、檢察官の法律上の見解とをあらかじめ全面的に開示し、被告人をして、防禦の対照、範囲、重点等をよく諒解させ、事実上若しくは法律上の諸観点からする各般の準備を十分に整えるだけの余裕を與え、いやしくも備えなき被告人の虚をつくような不当な攻撃を排し、訴訟当事者として防禦の側に立つ被告人の立場を尊重し、保護するにあるものと解される。そして起訴状の謄本送達要請の趣旨が、右のとおりであり、且つ、右の趣旨を出ないものであることは、刑事訴訟法第三百十二條、規則第二百九條等の規定に明らかであるように、訴因又は罰條の追加、変更等の請求は、書面によるのを原則とし、裁判所は、その各謄本を直ちに被告人に送達しなければならないし、なお、場合により、裁判所は、訴因又は罰條の追加又は変更により、被告人の防禦に実質的な不利益を生ずる虞があると認めるときは、被告人又は弁護人の請求により、決定で、被告人に充分な防禦の準備をさせるため必要な期間公判手続を停止しなければならないのであるが、それにもかかわらず、例外として、裁判所は、被告人が在廷する公判廷においては、口頭による訴因又は罰條の追加撤回又は変更を許すことができる旨の規定に徴してもこれを知ることができるのである、すなわち、被告人が在廷する公判廷において、訴因の変更等があり防禦の準備に格段の手数を要せず、被告人においても訴因の変更等に別段の異議がない場合においては謄本送達の原則に拘泥するの理由がなく、この場合には、訴訟経済の原則が活用されることになり、口頭による訴因の変更等が許されることとなるのである。

今、本件についてこれを見るのに、起訴状及び訴因変更の各謄本が、被告人に送達されていないこと、前段説明のとおりである。この場合、刑事訴訟法第二百七十一條第二項の規定を、そのまま適用して、本件公訴の提起を、さかのぼつて、全面的に無効として取扱うことは、果して、妥当にして合理的であるかどうか。

謄本送達要請の趣旨は、前段に詳述するとおり、被告人に防禦を準備するの機会を興えることに帰着する。故に、若し、被告人が、防禦準備の機会を興えられなかつたがために、特に不利益な立場に立たざるを得ない特段の事情があるならば、被告人は、そのことを理由として、第一回の公判期日の指定の通知を受け取つた際、若しくは、第一回公判期日の冐頭に、檢察官が起訴状並びに訴因の追加請求書を朗読したのに引続き、裁判官から、被告事件について、陳述することがあるかどうかを尋ねられた際、よろしく、異議の申立をして、防禦準備の機会を求めるのが、至当の措置であつたのではあるまいか。若し、被告人がさような要求をしたのにもかかわらず、裁判所が、その正当な要求を斥けて、強引に審理を進め、防禦準備の機会を不当に奪つたのであれば、それは被告人の利益を不法に剥奪したものとして、本件手続を全面的に無効として取扱うに足りる合理的な理由があるものといえるのであろう。しかし、本件において、被告人は、右のような異議申立の機会を與えられながら、何ら異議の申立をせず、事実は、そのとおり相違ないと述べ、弁護人と共に、被告事件について別段陳述することはない旨を述べ、裁判官において証拠調に入る旨を告げ、檢察官から、証人十二名、十八種類の証拠書類の取調を求め、若し、被告人において同意すれば、証人尋問に代えて十数通の供述調書、証人尋問調書等の取調を求める旨を述べ、裁判官において、右書面を証拠とすることについて同意するかどうかを問い、右証拠調の請求について意見を求められたのに対し、弁護人と共に、右書面を証拠とすることに同意し、証拠調には異議なく別に取調を請求する証拠はない旨を述べて、何らの異議も申立てることなく、事実並びに証拠の取調べ手続全部を終了し、原審公判手続全部を適法に終えたものであることは、原審第一回公判調書の記載によつて、まことに明瞭である。

右のとおり、被告人に対しては、起訴状及び訴因変更請求書記載の事実全部が、被告人の出廷した公判廷において、檢察官から朗読され、被告事件について、陳述することがあるかどうかを裁判官から尋ねられているので、防禦の対照、範囲、重点等は、あますところなく明確にされており、且つ、防禦準備の機会も與えられていると解するのが相当であつて、このような審理の過程においては、被告人の防禦権は不当に制限されたものではないと断ずるのが至当である。

被告人の防禦権の保護は、極めて重大な事柄である。しかし刑事訴訟法は、被告人個人の基本的人権の保障の万全を所期すると同時に、他方公共の福祉を維持し、刑罰法令の適正迅速な適用実現をも目的とするものであつて、訴訟上の権利は、あくまで誠実な行使を期待せらるべき趣旨に鑑みるときは、起訴状の謄本等の不送達に基く被告人の訴訟上の権利の行使も、おのずから一定の範囲に限局せられ、本件のように、防禦準備の機会が與えられ、しかもなお、事実並びに証拠の取調手続全部が適式に終了された段階においては、もはやその異議申立の時期を失つたものとして、その訴訟上の瑕疵は、被告人が適当の機会に異議の申立をなさず、その後の訴訟の進行に賛同協力した事実によつて既に治癒されたものとして取扱い、本件のような起訴状等の謄本不送達の一事を以て、起訴の当初にさかのぼつて、本件起訴の効力を全面的に失わしめるという結果を避けるのが相当である。

殊に、本件においては、弁護人に対して、起訴状等の謄本が送達されているのである。弁護人は、訴訟における被告人の防禦上、被告人の利益を全面的に代表するものであると見て差支えない。弁護人に送達されたからといつて、被告人本人に送達さるべきものが送達されなかつた瑕疵が直ちに治癒されるわけのものでないことは、もとより当然のことではあるが、前段説明のとおりの理由で、その瑕疵が治癒される事情は、起訴状等の謄本が全然送達されなかつた場合に比べれば、なお、一そう強いものがあるといえるであろう。

論旨は、以上と異る見解を前提とするものであつて賛同し難い。

第三点に対する判断。

起訴状に罪となるべき事実を記載するに際し、当該犯罪事実と何ら直接の関係がないのにかかわらず、單に被告人の惡性を中傷強調する目的を以て、被告人の性格、経歴、素行等に関する事実を記載することは、刑事訴訟法第二百五十六條末項に、起訴状には、裁判官に事件につき予断を生ぜしめる虞のある書類その他の物を添付し、又はその内容を引用してはならないと規定する趣旨に反することもちろんであるけれども、そうではなくして、被告人が恐喝の手段として、一般人を恐れさせるに足るような自己の性格、経歴、素行等に関する事実を相手方に告知し、若しくは、相手方がそのような事実を知つて恐れているのに乗じて、金品その他財産上の利益の供與を求める方法によつて、恐喝の罪を犯した場合、起訴状に当該恐喝の犯罪事実を記載するに当り、被告人の性格、経歴、素行等に関する事実を掲記することは、罪となるべき事実を表示するために、まことに已むを得ないところであつて正当であり、少しも右規定の違旨に反するものではないというべきである。本件起訴状記載にかかる被告人の性格、経歴、素行等に関する記載は、その言辞やや穏当を欠くうらみなしとしないのであるが、その趣旨とするところは、犯罪事実を明確にしようとする意図に出たものであつて何ら他意のないものであること、その公訴事実記載の全般からこれを推認するに難くないのであるから、本件起訴状の記載に、所論のような違法があるということはできない。この点に関する論旨は理由がない。

弁護人井上音次郞の控訴趣旨

第三点、原判決は起訴状一本主義の手続規定違背を無視した違法の判決である。

本件起訴状を閲するに、公訴事実に「被告人は賭博前科二犯を有し行橋町並にその近郊に於て誰知らぬ者もない不良輩で酒癖が惡るく被告人の姿を見るとこれを避けて通ると云ふ所謂町の不良靑年仲間の親分格として橫暴の限りを盡して居るが」と述べてゐるが右の起訴状の性行経歴は、前科調書、司法巡査山上政止作成の素行調査書、各証人の訊問調書の内容を引用したものであることは明らかである、起訴状には裁判官に事件につき予断を生ぜしめる虞のある書類その他の物を添附し又は其の内容を引用してはならないことになつてゐる(刑訴二五六條六項)而してこの規定は嚴格なる効力規定でありとの規定に違反した公訴の提起は手続違反として公訴棄却の判決をなすべきである(刑訴三三八條四項)然るに原判決は此の挙に出でずして、予断を生ぜしむる虞ある起訴状により実体的判決をなしたることは違法の判決で破毀を免れない。

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